金伍 彩|みんなのかかりつけ訪問看護ステーション

ケアと風土を持ち帰り、地元で“家に帰る”という選択肢をつくるためにかかりつけを選びました

苫小牧店 管理者

金伍 彩

DATA
1989年生まれ/専門学校卒/前職:大学病院/訪看経験なし/北海道出身/2023年7月入職/2025年6月より苫小牧店管理者

医療職になったきっかけと経歴を教えてください

私は北海道の厚真町(あつまちょう)という、人口4,000人ほどの小さな町で育ちました。クリニックが1つだけあり、そこは「体調が悪いときに行く場所」というよりも、「ちょっと相談したいときに立ち寄る場所」でした。待合室には近所の方同士が自然と集まり、世間話をしながら順番を待っている、そんな温かい空気の中で、ひときわ印象に残っているのが看護師さんの姿です。誰かに呼ばれればすぐに駆け寄り、しゃがんで目線を合わせ、やさしく声をかけていました。忙しいはずなのに、その人にとっての“今”にしっかり向き合っているように見えました。
その姿を見て、「私もこんなふうに、人に寄り添える人になりたい」と思ったことが、看護師を目指した原点です。
看護師になってからは、地域の基幹病院で消化器内科・血液腫瘍内科に勤務しました。そこでの日々の看護の中で、強く心に残っている出来事があります。それは「本当は家に帰りたい」と願いながらも、在宅サービスが整っていないために、病院で最期を迎えざるを得なかった患者様との出会いです。
その方は、私と同じ地元の出身でした。
「帰りたい場所があるのに、帰れない」、その現実を目の当たりにしたとき、自分の中で何かがはっきりと変わったように感じました。「将来、地元で訪問看護師として働き、“家に帰る”という選択肢を当たり前にしたい」、そう強く思うようになりました。
そのために、まずは生活に直結する身体機能やケアをしっかり学びたいと考え、整形外科へ異動しました。人工関節の看護はとても奥が深く、「また歩けるようになる」という過程に関われることは、私にとって大きなやりがいとなりました。目の前にいる患者様の一歩一歩の回復に寄り添いながら、その人の生活が取り戻されていく瞬間に立ち会えることが、本当に嬉しかったです。気づけば毎日がとても充実し、「このままここで働き続けるのもいいかもしれない」と思うほど、やりがいのある時間を過ごしていました。

転職前に感じていたキャリアや仕事の「悩み」について教えてください

充実した日々の中で、祖父が施設に入所し、入所後に間もなくして亡くなるという出来事がありました。祖母はとても落ち込み、「もっと家で過ごさせてあげたかった」と何度も口にしていました。その言葉と、ふとした時に見せた表情が、ずっと私の心に残っています。
「もし、“家にいたい”という想いがあったときに、それを支えられる人がいたら何かが変わったのだろうか」
そう考えたとき、これまでどこか遠くにあった“在宅で支える看護”が、一気に自分ごととして迫ってきました。「訪問看護師として、地元で“家に帰る”という選択肢をつくりたい」、この想いを、“いつかやりたいこと”ではなく“実現しなければいけないこと”として強く感じるようになりました。
一方で、整形外科での仕事は本当に楽しく、職場の人間関係にも恵まれていました。任せてもらえることも増え、学会にも参加させてもらい、やりがいも学びもある環境でした。だからこそ、「本当にこの環境を手放していいのか」、「ここで働き続けることも一つの正解なのではないか」と、何度も自分に問いかけました。
“やりたいこと”と“今の充実”、その間で揺れ動きながら、決断に踏み切れない時期が続きました。

転職前の「不安」について教えてください

訪問看護への道を考え始めたものの、当時は私が理想とする形で働けるステーションが地元にありませんでした。私が思い描いていたのは、地元の在宅生活を守るために、24時間365日どんな時も支えられる体制がある、そして訪問看護という選択肢を知ってもらうために、病院へ報告やフィードバックができる関係性がある、そんなステーションです。「ただ訪問する」だけではなく、「地域全体を支える“仕組み”としての訪問看護を実現したい」と思っていました。しかし、どれだけ探しても、その想いを叶えられる環境は見つかりませんでした。
どうしたらいいのかと悩んでいた時、母から「森田さんが名古屋で訪問看護をしているよ」と聞きました。現・訪問看護部長 兼 高畑店(名古屋市中川区)所長の森田さんとはもともと知り合いで、当時は高畑店の所長をしていました。森田さんに連絡をしてみると、かかりつけのことを紹介してくれました。それからかかりつけのブログを見るようになり、スタッフの想いや代表・藤野さんの考えに触れるうちに、「ここで学びたい」という気持ちが少しずつ確信に変わっていきました。
その後、休みを使い、森田さんのいる高畑店へ数日間の見学に行きました。そこで見たのは、これまでの自分の常識が覆されるような光景でした。自宅で輸血や抗がん剤治療を受けながら生活されている方や、寝たきりで思うように体が動かなくても自分らしく前向きに暮らしている方がいて、事業所では「ハピプロで桜プロジェクトしない? ●●さん、以前はよく桜を見に行っていたみたいだから」という会話が自然と生まれる環境でした。そこには、ご利用者さまの“人生の幸せ”を本気で考え、最高のケアを追求するスタッフがいました。
「この風土とこのケアを、北海道に持ち帰りたい。そして、やるからには最高のケアを届けたい」、そう強く思い、家族を説得し、かかりつけに入職して名古屋へ行く決断をしました。その目的は、単に学ぶことだけではありません。学び、成長し、将来は管理者として北海道に訪問看護ステーションを立ち上げ、一人でも多くの方にケアを届けること、その覚悟を持っての挑戦でした。
しかし、私自身これまで管理者も訪問看護も経験がなく、決断した後も不安が消えることはありませんでした。知らない土地での生活、初めての訪問看護、新しい人間関係、そして何より「ここで成長できなければ、地元に何も持ち帰れない」という重いプレッシャーがありました。
「応援してくれた家族の期待に応えられるのか」「本当に自分にできるのだろうか」と、期待と同じくらいの不安を抱えながら、それでも一歩を踏み出しました。

転職前の悩みや不安をどう乗り越えたのですか?

私が抱いていた不安は、働き始めて少しずつ変わっていきました。一番大きかったのは、高畑店の仲間の存在です。毎日のように「この方にとっての最善は何か」「もっと良い関わり方はないか」と、仲間と共に本気で語り合う時間がありました。ただ業務をこなすのではなく、ご利用者さまの人生にとって何が大切なのかを、何度も立ち止まり、考え直し、また挑戦する。そんな時間を、当たり前のように大切にしている環境でした。
訪問は1人で行きますが、常に1人ではない感覚がありました。迷った時、困った時には、すぐに相談できる仲間がいて、必ず誰かが支えてくれました。その中で、私は大切なことに気づきました。訪問看護は「最高のケアを届けること」だけではなく、チームの関係性や在り方そのものが、ケアの質をつくっているということです。
一人ではなし得ないことも、みんなと一緒なら可能にできる。そう思える仲間と出会えたことで、ただ目の前のケアを頑張るだけでなく、「こんな地域をつくりたい」「こんな看護を届けたい」と、自然と夢について語り合えるようになりました。そして、語るだけでなく、それを本気で“叶えたい”と思えるようになったことが、私にとって一番大きな変化だったと思います。

一歩を踏み出して、今どうですか?

今は苫小牧市、そして地元・厚真町に訪問看護を届けています。あの時思い描いた「地元で“家に帰る”という選択肢をつくる」という夢を、少しずつ形にすることができています。
次の夢は、厚真町だけでなく、近隣の医療過疎地域にも、“家に帰る”という選択肢を届けていくことです。どこに住んでいても、「最期まで自分らしく生きる」ことを諦めなくていい。そんな地域を広げていきたいと思っています。
苫小牧店では新たな仲間と出会い、今も毎日「もっと良いケアはないか」を語り合い、磨き合っています。あの時、一歩踏み出したからこそ、今の仲間がいて、今の景色があります。

もし今、「やりたい看護、夢があるけれど、環境がない」と悩んでいる方がいたら伝えたいです。その場所に環境がないのであれば、「学びに行き、持ち帰る」という選択もあります。
私自身、名古屋で訪問看護を学び、地元に戻り、その経験を還元することで夢を叶えることができました。これは、全国展開するステーションだからこそ実現できた、一つの形だと思います。また、環境がないことは、決して”諦める理由”ではなく、“ゼロからつくる側に回るチャンス”だと思っています。
人生は一度きりです。
だからこそ、自分が「こうありたい」と思う道を、あきらめずに選んでほしいと思います。その一歩が、未来を大きく変えると、私はここで実感しています。

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